top of page
◆柳生新影流の起源
新影流の起源 新影流は、上泉武蔵守が諸流を究めた後、愛州移香斎の影流を元に松本備前守の鹿島神流や己が創意工夫の剣を加えて大成した。
後に影流に“新”の一文字を加えて新影流と号する。 この流れを柳生石舟斎が継承。柳生家の新影流は、江戸徳川家の指南役と、
尾張徳川家に指南役として召し抱えられ、両家を中心に発展する。
石舟斎の高弟大野松右衛門は、印可とともに柳生姓を受け、柳生松右衛門尉家信として有地元勝とともに、
筑前黒田藩他、西国へ新影流を広めた。 六代三宅源八郎は、薩摩より再び黒田藩に招致された。
平成九年六月、上藤鎮朗は蒲池鎮浪より免許皆伝の認可とともに、独立道場を許可される。
現在、広島柳生新影流兵法柳新会は剣法、組太刀、小太刀、無刀取、体術、短杖術、鉄扇術、影流等変化業が多数ある。
開 祖 上泉武蔵守(藤原)信綱
二 代 柳生但馬守(平)宗巌
三 代 柳生(大野)松右衛門尉家信
四 代 有地内蔵允(藤原)元勝
五 代 有地半右衛門元貞
六 代 三宅源八朗重栄
七 代 三宅三右衛門尉栄貞
八 代 三宅太三右衛門尉栄貞
九 代 三宅三左衛門栄堅
十 代 三宅清右衛門源治
十一代 三宅清左衛門源七
十二代 三宅三右衛門継信
十三代 蒲池源三郎鎮浪
初代宗家(広島柳生新影流兵法:柳新会)上藤元三郎鎮朗
以上、柳生新影流兵法柳新会HPより抜粋
bottom of page